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![森 幸二](/_next/image?url=https%3A%2F%2Fimages.microcms-assets.io%2Fassets%2F9e15dadb3dd640d093e339e00878ef94%2Fc289316ffd584e60be15870729d941b3%2F%25E9%25A1%2594%25E5%2586%2599%25E7%259C%259F%25E3%2580%2580%25E5%25B7%25AE%25E3%2581%2597%25E6%259B%25BF%25E3%2581%2588-min.png&w=1920&q=75)
自治体を含むあらゆる職場、社会のあらゆる場所から「パワハラ」は根絶されなくてはなりません。そこは論をまつまでもない当然のことなのですが、法的なものの考え方、つまり「平等な社会の形成」という観点から検証すると「パワハラ根絶で万事OK!」とはならないようです。パワハラ政策を考える際の“新しいヒント”をお届けします。
パワーハラスメントと「まじめすぎる人」
パワーハラスメント(パワハラ)に該当する言動を行うことは、そこに至る事情がどのようなものであっても間違ったことであり、パワハラは正当化することができない絶対悪であるという認識が社会全体に、そして、自治体の職場でも定着してきています。
パワハラの被害を受けやすいのは
- 論点がずれている
- 具体的な表現しか受け入れない
- 自分が納得するまで動かない
- 小さな不正や理不尽が許せない
- 価値的判断が苦手で、非論理的な結論や説明を許容できない(理屈だてに執着する)
というようなタイプの人だと思います。
これらの人たちを、ここでは「まじめすぎる人」と表現しておきます。
この「まじめすぎる人」にとっては、「パワハラはダメ」という社会的なキャンペーンによって、自分なりの方法で気持ちよくしごとをして自己的な満足を得ることができる職場環境が、ようやく整いつつあるといえるのでしょう。
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出所:厚生労働省「職場のパワーハラスメントに関する実態調査報告書」平成24年度調査、平成28年度調査、令和2年度調査より抜粋して加工
「パワハラ以前」におけるパワハラの意義
まじめすぎる人たちに対するパワハラをなくすことは、政策的には有効です。では、法的に正しいことかどうか、つまり、平等な社会の形成に奉仕するのかどうか確認してみましょう。
落語の枕(導入部分)には、「お金持ちの家では、子どもがまじめすぎる人として成長することが多い。だから、親から受け継いだ資産は子の代で損なわれ、その結果、世の中にお金が均等に循環する。社会のしくみはよくできている」という趣旨のものがあります。
落語の主な舞台である江戸時代あるいは明治時代には、パワハラに相当する行為は日常的に行われていたに違いありません。それどころか、上位者と下位者との関係性や、やり取り自体がパワハラで成立していたとも思われます。
一方で、貧困な境遇に生まれた人は、正当化・日常化されていたパワハラ(に相当する行為)に耐えてしごとの成果を挙げ、上位者に認められることによって、その地位を脱して、経済的社会的な成功を遂げることができたのです。パワハラの存在は、恵まれない境遇にあるまじめすぎない人たちにとって、サクセス・ストーリーを自分のものとする機会でもあったと思われます。
まじめすぎる若旦那がまじめすぎて没落し、したたかな感性と行動力、そして外連味(けれんみ)のない勤勉さや強靭な精神力を持った貧困な家の子どもが、世間の理不尽(現在におけるパワハラ)に耐えてその境遇から脱出するという事実上のしくみが、だれの意思でもなく自然に用意されていたのでしょう。
昭和のテレビアニメやドラマにも、貧しい家庭に生まれた主人公が、嫌がらせや悪意に満ちた仕打ちに耐え、成功を掴む姿が盛んに描かれていました。「キャンディ・キャンディ」、「おしん」、「セーラ」、「あかんたれ(主人公の名前は忘れました)」などです(どれも古いですね。すいません)。当然、キャンディたちの成功の数だけ、入れ替わりに親から与えられた豊かな経済的・社会的地位を失った人たちが存在したはずです。
さらには、つい最近まで、パワハラに耐えうるタフな心(今では、建前上、それは無用なものだとされていますが)を持った人が、組織の要職に就く傾向があったことを実感として持っている人も少なくないと思います(自治体によっては現在でもそうであるかもしれません)。
このように、現在におけるパワハラがパワハラとして評価・認識されていなかった「パワハラ以前」の時代には、パワハラは経済的社会的な格差をその能力と努力によって逆転させる装置のひとつであったことは、間違いはないと考えられます。
今でも、貧困に苦しんでいる人たちに対して、典型的なパワハラの事例を挙げて、「これらの仕打ちに一定期間耐えれば、豊かになれるかもしれないが、どうするか」と尋ねたら、相当数の人が「甘んじて(喜んで)その境遇を受け入れる」と答えるのではないでしょうか。
パワハラについての法的な考え方
社会において活躍・成功するための人的な資質について、A「経済力にはかかわりがないもの(経済力では獲得できないもの)」とB「一定の経済力が必要なもの(経済力によってある程度獲得できる可能性があるもの)」とのふたつの要素に分けて整理してみました(下図参照)。Aはまじめすぎるかどうかなどの性格特性が、Bは学歴や資格などが挙げられると思います。
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パワハラ防止策などによって、まじめすぎるかどうかなどの人の性格的な特性についての社会の理解は進み、その格差は意識的に埋められつつ(埋まったことになりつつ)あります。③における「A×」は解消の方向に向かっているのです。それ自体は政策的にはとてもよいことです。
しかし、幸福とは多分に相対的・比較的な面を持っています。「みんなが幸せになること」は理想ではありますが、その実現は困難です。ですから、法的に実現すべきなのは、「幸福になる平等な競争環境をみんなに用意すること」に尽きるのです。
よって、パワハラ対策などの性格特性への配慮と同時に、「②まじめすぎない貧困な人」についての「B×」を解消するための政策、つまり貧困対策を実施していかなければ、平等は実現できないと考えられます。でも、現在の貧困対策は十分ではありません(下図参照)。
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現在におけるパワハラ対策などの「貧困の視点なき人的政策」は、お金持ちの家庭に生まれたらどのような性格特性を持っていても社会で活躍でき、一方で、経済的に恵まれない家庭に生まれたら「天賦の才」を持っていて普通の人にはできない努力をしても、その環境から抜け出せないという不平等な社会の形成に奉仕してしまっている面があるのではないでしょうか。
今の社会は、まじめすぎることなどの人の性格特性に対しては、寛容になってきています。しかし、貧困に対してはまだまだ無理解だと思うのです。まじめすぎる人がその性格特性ゆえにパワハラを受けることと同じくらい貧困の状態にある人たちはつらい思いをしているはずです。
パワハラは絶対的になくさなければなりません。そのことは間違いないのです。しかし、パワハラ対策に限らず、経済的環境、いわゆる貧困問題の解消・改善の視点を伴わない政策、特に人の性格特性への配慮政策は、結果として、かつては存在していた貧困から抜け出す機会を一部の人たちから奪い、経済的な格差を親子孫単位で固着させることになっています。
理不尽なこと(ここでは「パワハラ」と「貧困」)が複数(ここではふたつ)あって、そのひとつだけを取り除くと、残った理不尽が助長される、困っている人たちのうち誰かだけを助けたら、助けられなかった人の状況をより悪いものにさせてしまうというのも、「平等」を正義だと考える「法的なものの考え方」による経験則のひとつなのです。
「パワハラ以後」の課題①
~パワハラの被害と被害者に対する評価~
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パワハラをされたことがミスの免罪符になってはならない…
ここからは、パワハラ対策における実務的な課題を検討します。
パワハラは確かになくしていかなければなりません。しかし、まじめすぎる人たち独特の言動やしごとぶりによって、組織や周囲に迷惑がかかり、しごとがうまくいかなくなる場合もあることも確かな事実です。
パワハラがパワハラとして成立するのは、しごとにおける支障や組織に損失を発生させた人に対する、その結果についての伝え方が悪い場合です。損失が客観的な事実であるのならば、それを確認し指摘すること自体はパワハラではないはずです。
パワハラを語るにおいて、「パワハラをされた被害者に原因がある」は、考え方として間違っています。でも、「パワハラをされた被害者は周りに迷惑をかけている」ことが事実であれば、それは、しっかりと事実として認識され共有されるべきです。
ですから、まじめすぎる人に対する配慮は必要ですが、彼らに対する能力や実績の評価にまで配慮を行うことには理由がありません。そこまでの「配慮」は、法的には単なる不公平であると考えられます。
そのいびつな「評価」は、パワハラを行ったことやパワハラを防げなかったことの負い目の表われであり、そんな評価をしていたら、職員全体の上司や組織に対する信頼を根本的に失ってしまうでしょう。
パワハラを防止するためには、まじめすぎる人や行動特性を持った人をありのままに受け入れ、その特性が起因となって発生したマイナスの行動は割り引いて評価すべきであるなどと主張する研究者や「専門家」の指摘もあるようですが、それは全くナンセンスだと私は考えます。
まじめすぎる人がまわりに与えているデメリットは、彼の意図するところであろうがなかろうが、職業人としての彼自身が出した結果なのですから。
パワハラは防がなければなりませんが、評価はクールに行わなければなりません。むしろ、評価がしっかりと客観的に行われることが、迷惑をかけられている上司や同僚がパワハラを思いとどまる大きなきっかけになるとも考えられます。
まじめすぎる人に限ったことではありませんが、「ミスをした職員が、上司からほかの職員の前で面罵された」としたら、上司はパワハラの加害者として責任を問われます。それとは全く関係なく、ミスをした職員はその過失の責任を負わなければなりません。パワハラをされたことがミスの免罪符になるなどというおかしな話を成立させてはならないはずなのです。
パワハラ対策の課題②
~パワハラの質的変化~
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まじめすぎる人がパワハラ加害者になったら何が起きる?
パワハラ政策は着実に充実してきています。そうすると、今後、パワハラの被害によって、その道を困難にされていたまじめすぎる人が、管理職になるチャンスが大きくなると思います。それは、まじめすぎる人たちがパワハラの加害者になる可能性がある地位に就く機会が増えることをも意味します。
まじめすぎる人が行ってしまうかもしれないと予想されるタイプのパワハラは、現在におけるいわゆる「パワハラ上司」のそれとは質的に全く違うものになるのでしょう。ケースごとの評価が必要であり、一概にはいえませんが、おそらく、被害者にとってより深刻であり、かつ、加害者にそれがパワハラであることを自覚させ、継続を断ち切ることがより困難になると考えられます。
だから、まじめすぎる人に対して、彼らをパワハラから擁護するだけではなく、彼の意思決定の特性における欠点をパワハラでない形で伝え、できる限りにおいてその行動を自覚させる指導やアドバイスを行う必要はあると思います。
でも、難しいですね。その理由は…。そう、「それはパワハラだ!」という言葉の存在です。社会的な課題は政策的には解決したように見えても法的に見ると(「平等」を追求すると)連鎖し、尽きることはないのです。
(「民間との大きな違い~自治体職員に必須な『別人ルール』とは?」に続く)
※本稿をはじめこの連載の内容は筆者の森さんの私見です。
■森 幸二さんの著書紹介(出版年月の新しい順)
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