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「法的なものの考え方」を探して#5(自治体法務ネットワーク代表・森 幸二)
【新採職員向け特別編】

《研修では教えてくれない「法的ものの考え方」》民間との大きな違い~自治体職員に必須な「別人ルール」とは?

    プロフィール
    森 幸二
    《本連載の著者紹介》
    自治体法務ネットワーク代表
    森 幸二もり こうじ
    北九州市職員。政策法務、公平審査、議員立法などの業務に携わり、現在は議会事務局政策調査課長。自治体法務ネットワーク代表として、全国で約500回の講演。各地で定期講座を実施中。著書に『自治体法務の基礎と実践』(ぎょうせい)、『自治体法務の基礎から学ぶ指定管理者制度の実務』(同)、『自治体法務の基礎から学ぶ財産管理の実務』(同)、『1万人が愛したはじめての自治体法務テキスト』(第一法規)がある。2023年10月に『森幸二の自治体法務研修~法務とは、一人ひとりを大切にするしくみ』(公職研)を出版。

    住民のために働く自治体職員は「別人ルール」を身につけることが必要―。自治体向け法務研修等を500回以上行った実績がある自治体法務ネットワーク代表の森 幸二さん(北九州市職員)が「法的なものの考え方」をお伝えする本連載。今回は特別編として新規採用職員のみなさんに向けて、法律や条例を使いこなしていくために必要な基本的な思考方法や価値観をケーススタディに基づいてお届けします。世の中の見え方も変わります!

    はじめに

    新規採用職員のみなさんは、これから、自治体職員としてたくさんの法律や条例を勉強していくことになります。「条例」とは、その自治体の区域だけに適用される法律のことだと考えてください。

    しかし、法律や条例に共通する思考方法や価値観、つまり、「法的なものの考え方」が身についていないと、それぞれの法律や条例を使いこなすことはできません。

    そこで、まずは、○○法や××条例を学ぶ前に「法的なものの考え方」について勉強してみましょう。

    民間は「人」、自治体は「立場」

    X市の市民がX市が所有するX体育館を利用するときには、X市の許可が必要です。勝手に利用することはできません。

    では、許可を行うX市(「許可権限を持っている」と表現されます)がイベントでX体育館を使用するときにも許可が必要でしょうか。下図のどちらが正しいか、考えてみてください。

    正解はB。その理由を説明しましょう。

    法(法律や条例)は、誰に対しても平等に存在しなければなりません。そして、法は、誰かが機能させる役割を持たなければ、つまり、法を適用しなければ、その内容を社会で実現させることはできません。その法を実現する役割を自治体が担っています。

    民間企業においては、自治体のように法律に従ってしごとをしているわけではなく、お客さんとの契約によって利益を実現していきます。

    X市が民間企業であるならば、自分の所有物である体育館を誰に利用させるかについては、利用希望者(お客さん)との交渉によって、決定することになります。その決定は契約という形で具体化されます。

    民間団体の契約においては、縁故で申し込みの順番を変えたり、特定の人に利用料金をディスカウントしたりしても、何ら違法行為ではありません。むしろ、特定の誰かにほかの人には与えない便宜を図ることが民間企業の存在意義であるとも考えられます。そうして、企業は存続し、従業員は生活の糧を得ているのでしょう。民間企業では、「人そのもの」がしごとの対象なのです。「相手が誰であるのか」によって“しごとの仕方(しかた)”が変わるのです。

    しかし、自治体においては、X体育館はX市の所有物ではありますが、X市民のために誰でも公平平等に利用できるように管理することがX市のしごととなります。民間企業が自らの利益のために、自分の利害によって、自分の土地や建物を貸していることとは、仮に同じ体育館の所有・管理であっても根本的な(それを「法的な」といいます)意味が異なるのです。

    ですから、X市が事業を行う際には、自分の事業についても他の団体や個人が行う事業と同じように、許可できるかどうかを判断しなければなりません。X市がX市に許可を行う、あるいは、不許可にすることは全くおかしなことではないのです。

    「法的ものの考え方」に基づいた民間企業と自治体の違い

    自治体のしごとにおける「別人ルール」

    自治体行政においては、「人そのもの」ではなく、その人がその社会的な場面において持っている(持たされている)「立場」に従って、その人と向き合い、その人を評価して、判断・行動していくことになるのです。

    これは、立場が違えば、物理的には同じ人(人間・法人)であっても、「別人」であると見なければならないことを意味します。自治体職員として住民のために働くにあたって、まずは、この「別人ルール」をしっかりと頭と心に据えてください。民間企業は「人そのもの」、自治体は「その人が置かれている立場」が、しごとの対象です。

    みなさんは、これから、関係性ではなく立場でしごとをすることになります。社会において、「人は立場で評価され、立場に応じた法的責任を負う」ことについての理解は、自治体職員として、常に持っておかなければならないのです。

    親⇔上司

    ここで、質問があります。みなさんは、これからどんな人が上司になってもうまくやっていける自信があるでしょうか? いやな人が係長になってもうまくやっていけそうですか? 

    「どうだろう…」。こう思う人が多いのではないでしょうか? しかし「人は立場として社会や組織に存在している」という理解を心にとめて考え直してみてください。そうすれば、心が次の図のように動くはずです(「役所に行きたくない」と思うほどいやな係長がいる、とした場合のケーススタディです)。

    実際には、このようにうまく心が動くかどうかはわかりませんが、とにかく、社会において人は「立場」です。「〇〇さん」ではないのです。上司からの叱咤や指摘もその人の属性ではなく、「立場」が言わせているのです。言わなければならないのです。「立場で判断する。立場で人を評価する」ことは、法的なものの考え方の礎(いしずえ)です。

    ~Column~立場がわからない人(大人になれない人)
    職場には、自分に原因があることを認めようとしない、自分の提案が通らないと態度を急変させる、「私は」「私が」が口癖の自己認識がない職員が散見されます。
    彼らは、人の立場を理解しないという、心のクセを持っています。「私の立場」ではなく「私自身」を主張し、受け入れてもらおうと懸命になるのです。
    周りの人間にも、立場を捨てた生身の人であること(名札の肩書を消して名前だけを表示すること)を強要します。
    自分の立場を自覚し、受け入れ、周りの人たちの立場を理解するためには、人として自立していなければなりません。立場がわからない職員は、要するに大人になりきっていないのです。
    彼らは、大人になっても特定の人に対して、コンプレックスを持ち続けているのでしょう。ここでいうコンプレックスとは、劣等感ではなく、「無批判な子どもじみた尊敬(心)」を指します。両親、大学時代の恩師、かつて読んで感動した本(作家)、一方的にお世話になった人などを、相も変わらず尊敬し続け、精神的に従属しているのでしょう。
    理由は単純です。子どもだったから彼らに頼るしかなく、彼らが批評・批判の対象たり得なかった。見上げるしかなかった人をずっと、見上げ続けているのです。
    学校に例えるといつも学級委員の立ち位置を狙っているのです。先生にいちばんかわいがられる生徒で居続けようとしているのでしょう。しかし、自治体に限らず、社会には学級委員は無用です。自らが先生になって教壇に立つか、保健の先生をするか、給食調理員や校務員として学校経営に貢献するか、そのどれもができないのなら学校から出ていくしかありません。
    尊敬する誰か(その「尊敬」は虚構ですが)に褒められながら、自分の考えを認めてもらい、一方で責任は負わない「立場」を社会において見つけようとするのは意味のないことです。

    上司の立場

    職場の上司は親とは違います。ねだっても何か買ってくれるわけではないし、若くても20歳前後になってからの付き合いですから、自分もある程度大人になっているので、人としての欠点も見えてしまいます。

    そもそも、職業人同士として向き合っているのだから(家族のような運命共同体ではないのだから)、自分と利害が対立すれば自分の利益をある程度優先することは、上司の労働者の立場として、しかたのないことだとは思いませんか。そう、思えないのなら、社会で働くことは難しいでしょう。

    立場で人を見る力を身につけましょう。そのために、まずは、親や恩師を素直に自然に再評価してみましょう。彼らの人としての欠点や間違いや都合やわがままの存在を発見し、本当の大人として、彼らの実態を受け入れましょう。そうすれば、職場の中にいる嫌いな人や苦手な人への見方も変わります。きっと。

    その人の「立場」がわかるようになります。ひどい人、ダメな人を目にしたとき、無意識に自分に近しい人が思い浮かんだら、目をそらせたり、頭を振ったりするのではなく、勇気を持ってそのふたつを重ね合わせましょう。

    「あの人がそんなことをするはずがない」などと思わずに、客観的に受け入れるのです。自分との距離の近さ、言い換えれば自分との関係性に囚われて、人を立場ではなく、「(私にとっての)〇〇さん」という見方でしか見ることができないのでは、自治体職員として、住民のために働くことは、とうていできません

    お父さんは社会的には特に有能な人物ではなかったとか、お母さんは(職場のあの人と同じように)めんどうくさい人だったとか、人として、女性としては、母と仲が悪かったために自分とも距離ができてしまっていた叔母(注:多くの場合は父方)のほうが素敵な人だったとか、もし、そうであるのなら、素直にそう思える人になりましょう。

    そして、尊敬を「恩」に変えるのです。子どものころに尊敬していたような人でなかったことが明らかになったとしても、自分にはできないような苦労をして自分を育ててくれた( 3 杯目のおかわりを決して拒否しなかった)ことは事実であるのですから。

    住民の立場

    人に向き合い、その人について何かを考えようとしたときに、「立場」という視点を持つことが、法的なものの考え方と法的な行動につながります。上司や同僚などの職場の周りの人だけではなく、住民も法的な目で評価することができるはずです。

    住民に対しても、人物評価をするようなことは絶対にしてはいけません。そんな資格は自治体職員にはありません。私たち自治体職員は住民の「立場」と向き合っているのです。

    人が向き合っているようにも壺にも見える“だまし絵”。「その人が置かれている立場」と「その人そのもの」を取り違えたり、混同するのはNG!

    たとえば、生活保護の受給者、税の減免を受けている人は、その人の属性ではありません。その人がその時点で置かれている状況や立場です。「生活保護者」などという名前の住民はいません。

    だから、法的な保護や手当を受けている住民を心ない(法的でない)誹りから守るのも、自治体職員の重要な役割です。「人を立場で評価して自分との距離の違いを克服する」ことは、本当の自治体職員になるために、大切なことなのです。

    (続く)
    ※本稿をはじめこの連載の内容は筆者の森さんの私見です。

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