自治体通信ONLINE
  1. HOME
  2. 首長インタビュー
  3. まちのかたちがいかに変わろうとも、地域のアイデンティティを後世に残す
「政治再建」を掲げる市長が人口減少時代に描く市の未来像

まちのかたちがいかに変わろうとも、地域のアイデンティティを後世に残す

まちのかたちがいかに変わろうとも、地域のアイデンティティを後世に残す

※下記は自治体通信 Vol.56(2024年3月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

人口減少と高齢化が急速に進む地方において、いかに行政機能を維持し、まちの存続を図るか。多くの自治体に共通した深刻な課題といえる。金融アナリストから転身し、「政治再建」を掲げて石丸氏が市長に就任した安芸高田市もそうした自治体のひとつである。これまでにない積極的な情報発信や、周囲との対立を恐れぬ問題提起を繰り返し、注目を集めている同氏が描くまちの未来とは、どのようなものか。詳しく聞いた。

インタビュー
石丸 伸二
安芸高田市長
石丸 伸二いしまる しんじ
昭和57年8月、広島県生まれ。平成18年に京都大学経済学部を卒業後、株式会社三菱東京UFJ銀行(現:株式会社三菱UFJ銀行)に入行。マクロ経済分析のアナリストとして、米国勤務などを経験する。令和2年8月に、安芸高田市長に就任。

誰も赤字事業を止めることができなかった

―任期最終年度となった今、この間の成果を振り返ってください。

 就任以来、私が使命として注力してきたのは、「止(や)めること」でした。田んぼアート公園造成事業や開設当初から赤字の「道の駅」事業などに代表される採算を度外視した事業、これまでの惰性で続けてきた赤字事業をいくつも整理・合理化していきました。危機的状況にあった市の財政のダメージコントロールを行うことが、待ったなしの課題だったからです。就任当時の市の財政状況といえば、昨年に財政非常事態宣言が出された山梨県の自治体とほぼ同じか、それを下回る水準だったのです。にもかかわらず、それらの赤字事業を誰も止めることができなかった。

―それはなぜだったのでしょう。

 二元代表制が機能していないため、健全な市政運営ができていなかったからだと思っています。二元代表制では、選挙で選ばれた首長と議会議員の両者が抑制と均衡によって緊張関係を保ちながら自治体運営に携わるのが本来の姿です。構造的に対立しているからこそ対話の必要性があり、建設的な対話も可能になるわけです。「首長と議会は仲良くやるべき」という意見はよく聞きますが、残念ながらそれは地方政治の実情を理解していない意見だと私は思うのです。「根回し」という公の記録に残らない形で意思決定がなされ、市民にとって良いとは思えない施策が通ってしまう。実際、就任直前の5ヵ年は実質単年度収支が赤字でした。議会も市当局も、財政の危機的状況を把握していたにもかかわらず、ただの一度も決算不認定はありませんでした。議会が単なる追認機関となっていたから、市民は財政の危機的状況を知ることもなかった。これは、多くの自治体運営に共通する根本的な問題ではないでしょうか。

「情報発信」によって、市民は「目が覚めた」

―その状況を、石丸さんはどのように変えようと考えたのですか。

 まずは、積極的な「情報公開」を行いました。市民と危機感を共有するには、何にも増して正しい現状認識が必要と考えたからです。就任2年目から続けている市民向けの「財政説明会」は、その代表的な取り組みの1つです。約200億円の予算は毎年約2億円ずつ削らなければ、いずれ破綻する。もはや「あったらいいな」という事業を残せる状況ではなく、「なくては困る」事業だけを取捨選択していかざるを得ない。そうした市の財政状況を私自ら市民に説明するのですが、参加者からは「今までそんな状況をまったく知らなかった」という声が毎回届きます。市民はまさに「目が覚めた」のだと思います。

―説明会の模様は動画チャンネルを通じて発信していますね。

 市民はもとより、全国の人々、また後世の人々にも当市の模索を見てもらいたいのです。多くの自治体が同じような状況にありますから。そこから危機感を共有して、将来の取り組みに活かしてほしい。その想いで任期最後の財政説明会をまとめました。

―財政再建は進んでいますか。

 数字は格段に良くなりました。悪化の一途を辿っていた経常収支比率には歯止めをかけ、切り崩してきた財政調整基金は逆に積み増すこともできました。財政非常事態宣言発出の瀬戸際にあった状況は、ひとまずは回避できています。

 とはいえ、抗いがたい人口動態や経済予測を見れば、当市を取り巻く状況は、目先の財政危機の回避だけで明るい未来が描けるような甘い話ではないと考えています。

コンパクトシティ化で時間を稼ぎ、未来に賭ける

―財政危機を回避した今、なすべきことはなんですか。

 絶対にやらなければいけないのは、コンパクトシティ化です。自治体運営の無駄を極限まで排除し、効率性を高めて、なんとか行政機能を維持するのです。それによって時間を稼ぎ、時代の変化や科学技術の進歩によって、社会課題が徐々に解決されていく未来の可能性に賭けるのです。技術の発達で遠隔地にいながら医療や教育が受けられ、田舎にいても都会と変わらず欲しい物が手に届く時代になっています。それによって、これからもある程度の豊かな生活を維持できるかもしれない。死中に活路を求めるレベルかもしれませんが、我々の世代が現実から目を背ければ、次の世代を待ち受けるのはさらに悲惨な現実しかありません。

残る自治体はほとんどない

―その先に実現したいまちの未来とは、どのようなものですか。

 たとえ将来、まちの姿やかたちがどのように変わっても、安芸高田のアイデンティティを残せるようにしたいのです。そのアイデンティティを形成するまちの誇りが、「毛利元就」「サンフレッチェ広島」「神楽」の3つであり、市としても発信に力を入れています。

 戦国武将の毛利元就が本拠とした郡山城は、安芸高田市役所のまさに目と鼻の先にあり、この小さな山城から毛利氏の歩みが始まったのです。その毛利元就の「三矢の訓」をもとに命名されたJ1サンフレッチェ広島は、その名称をきっかけに、練習場を当市に置いており、まさに市民の誇りともいえる存在になっています。そして、広島県が誇る伝統芸能「ひろしま神楽」も、じつはこの安芸高田が聖地ともいえる場所であり、私はその歴史に当市の未来を重ね合わせています。

―どういうことでしょう。

 敗戦後、国家神道の儀式と位置づけられ、全国の神楽がGHQによって廃止に追い込まれる中、これを「演劇」として創作し直し再出発したのが当市の神楽の起源です。絶望的な状況にも諦めず、生き残り、むしろ飛躍した歴史が当市の神楽にはあるのです。日本は敗戦によって多くを失いましたが、その中でつかんだものもありました。その1つが当市の神楽であり、そこには日本人の強さ、しなやかさが表れていると感じます。

 敗戦で大きな歴史の断絶を経験した我が国ですが、現在はそれに匹敵する国の危機を迎えていると認識しています。私は50年後も100年後も現在のかたちのまま残る自治体はほとんどないとさえ思っており、当市も例外ではありえません。それでも歴史を生き残った神楽のように、自治体としてのかたちはいかに変わろうとも、安芸高田のアイデンティティを後世に残すこと。今からやっていくべきは、そのことにほかならないと思っています。

電子印鑑ならGMOサイン 導入自治体数No.1 電子契約で自治体DXを支援します
自治体通信 事例ライブラリー